译文
近些年来,家家户户都设有神龛。纵然是在重视佛教的人家,也在佛龛之外供奉守护当地的守护神。这是由于,日本的所有地皮都是守护神的,每个人都受到守护神的庇护。
江戸時代には、天照大神、恵比寿様、荒神様などの霊験あらたかな神をまつることがはやった。そのため、自分の家にいくつもの神棚を設ける者もいた。
译文
在江户时期,非常盛行供奉天照大神、惠比寿神、荒神都灵验非凡的神灵。因此,有人在自己家放置了好几个神龛。
いかし、そのような習慣が始まるのは、比較的新しい。奈良時代以来、有力な神をまつるのは、天皇家の特権だとされた。また、氏神に相称する村落を守る神をまつるのは、定められた神官の家であった。そして、一样平常の庶民は、家で宅神をまつった。
译文
但是,像这样的习气,开始时候还是比较新奇的。这是由于,自奈良时期以来,供奉威信的神灵被认为是天皇家的特权。此外,供奉与守护神相称的守护村落庄的神灵,又只能在神官家。于是,一样平常的庶民就在家供奉守护自己家的宅神。
宅神は、門を守る門神、庭にいる庭神と同じく、家という建物についてそれを守るものである。そして、日本神話に出てくる保食神が宅神だともいわれた。保食神は穀物を生み出した神で、食べ物をもたらす神としてまつられていた。
译文
宅神,与守护大门的门神、住在庭园里的庭神相同,便是守护屋子这种建筑物的守护神。而且,日本神话中涌现的保食神也被说成宅神。保食神是守护谷物的神灵,被当成带来食品的神供奉着。
戦国の戦乱をきっかけに、庶民が家で思い思いの神をまつるようになったと考えられる。戦国武将は、戦いに勝ち抜くために、神仏を自室に迎え、絶えずそれに祈った。その風習は、配下の武士にも広まった。そして、庶民も不安定な世の中で、嫡も無事に過ごせるように、家で力のある神を拝んだ。
译文
以战国的战乱时期为契机,庶民开始在自己家中供奉自己喜好的神灵。战国的武将为了祈祷自己不断胜利,把神佛放到迎到自己的房间里,并不断地祈祷。这个习气也传到了部下的武士中。并且,庶民们为了祈祷在这不安定的世道中顺利度过来日诰日,也在家中叩拜有能力的神灵。
このようにして、宅神のまつりがすたれていった。そして、江戸時代になって平和が訪れると、神社を小型にした神棚がつくられるようになったのである。その頃、伊勢の「御師」と呼ばれる宗教者たちが全国に伊勢神宮の御札を売って歩いていた。この御札を常時飾る場所として、神棚が登場したのだと考えられている。その証拠に、現在でも神棚にまつるのは「大神宮様」、つまり伊勢神宮の天照大神というところが多い。
译文
就这样,供奉宅神被逐渐荒废。并且,到了江户时期,天下太平,创造出了小型的神社,也便是神龛。恰逢此时,伊势的“御师”(信使们)在全国各地叫卖伊势神宫的护身符。被当成时常装饰这些护身符的场所,神龛应运而出。其证据便是,即便是在当下,神龛里所供奉的也依旧是“大神宫大神”,也便是多数所说的伊势神宫的天照大神。
現在、神棚をまつる場所は、最も清浄である事が一番大切で、明るく静かな部屋の高い所が良いとされる。本棚や家具の上に置いてもかまわない。神棚の上が、便所や廊下になる所は避けるが、マンションの場合は、一戸が独立した家屋と見る。上の階が気になる時は、神棚の上の天井に「雲」「天」「空」などと墨書きして貼る。方角は神棚から見て南向きか、東向き、或いは東南向きが良いとされる。
译文
现在,通亮且安静的房间的高处被认为是放置神龛的最好的场所,由于清净是最主要的事情。放在书架或家具上面也可以。神龛的上方,只管即便避开厕所、走廊等地。如果是公寓的时候,可以当成一户独立的房屋。如果介意上面的楼梯时,可以用羊毫上“云”“天”“空”等字贴在神龛上面的天花板上。方向的话,从神龛处看,南向、东向或东南向被认为是比较好的。
昔からある家に行くと、大きな神棚のほかに、居間や土間に小さな神棚があるのを見ることができる。これは「縁起棚」などと呼ばれ、荒神や恵比寿、大黒をまつったものである。
译文
以前,去某个人家的时候,除了有个很大的神龛之外,还能看到在起居室或素地皮面房间里有个小的神龛。人们管这个神龛叫“吉祥架”,是用来供奉荒神、惠比寿神、大黑天的。